その後の話

...and they lived happily ever after.

もうすぐ4年

昔(10年くらい前)はちょっと時間が空いたらガラケーぽちぽち打ってブログ更新してたのですが、今はその時間をついったやソシャゲが食い潰しており、、

 

言い訳aside. もうすぐ子宮頸がんの診断を受けてから丸4年です。術後最初は3ヶ月に一度だった検査が半年に一度になり、一年に一度になり、このまま5年経てばまぁまず大丈夫でしょうという感じです。脳が脆弱なので未だに検査前は手が震えるし、検査結果出るまでは比較的自律神経がめちゃめちゃになります。安定剤をかじりながらやっていく。

 

脳の化学物質の制御機構が現代社会に適応していないので、割とカジュアルにお薬をかじりながら生活をやっています。医学の進歩と発展に感謝。この心身をあと数十年保たせないといけないという現実にはシンプルに恐怖しかないので、今後とも医学の進歩と発展に期待しているし、生きてるうちに持病である耳の病気の機序が分かればいいなと一方的に期待していますが、世の中もっと重篤で機序不明な病気がたくさんあり、死なない病気に回るリソースは少ない。私が大金持ちになったら私財を投じて解明をしてもらいたいし、そうなったからには最適配分などクソだ、という心持ちになる気がする。自分にそれをする力がないから、明らかに全体最適ではない方向を目指せないだけで、それをする力を与えられてしまったら最後、自分が何をしでかしてしまうかわからない。

 

https://twitter.com/peccadillesx/status/1096951778501783552?s=21

 

何せ私は自分の脳の制御機構を信じていないので。

 

ツイッターのタイムラインを眺めていると、自分の絶対的正しさ?みたいなものを強く信じている人々に出会うことがしばしばあり、脳が強いな〜と思う。社会をやっていくのに向いている脳だ。人生、概ねケーススタディなので、経験を蓄積しながら正解リアクション芸を培ってきたのですが、いまだに突然話しかけられるとバグが発生する。脆弱な脳のリソースは常にスモールトークに容量を割くほど余力がないので、仕方がない。息子が卓球を習っているのですが、受付の人がクレジットカードの処理待ち中に突然「卓球やるんですか?」と聞いてきた。「えっ誰がですか?」と答えました。どう考えても私に決まっている。今この瞬間にもあの場に戻ってやり直したい。嘘です。よく漫画とかで奴隷が回してるなんかあの機械よろしく毎日必死で時計の針を進めているので戻りません。あの頃に帰りたい、とかもない。病気にならなければよかったとも思わないし。

 

よく大病を患った人が後から振り返って「今はなってよかったと思っている」みたいなことを言うのを見る度に以前は脳が生きていくために正当化してるんだろうなあと思っていたのですが、いざ自分がそうなって、今はなってよかったなあと思う。まぁ日常が破壊されずに済んだからだろうけど。自分の人生にとって意味のあることと、そうでないことがわかったので。意味のないことをしないというわけではなく、それを分かった上で生きていくのと、よく分からないままやっていくのは全然違う。違うんですよ。

 

ここ数日、耳の調子が少し良くなってきて、このまま治るかな〜と思っていたら悪化した。生きているだけで悪化する、規則性がない。絶対値で言うと同じ状態でも、下降気味の時と上昇中だと全然違うのでちょっと落ち込んで寝込んでいたのですが、不調に慣れてきたので家を片付けたりしていた。昔の写真や、息子の昔の作品などを整理しながら、4年前のあの時と、3年前別の病気で休職した時、あの2年を境に私の人生のカラーパレットが全く違うものに変わったことを再確認する。ポンコツの心身を抱え、電脳義体化する日を夢見ながら、今夜もメルカリで売れたものを発送し、また明日から労働をする。人生は悪い夢だし、神様はおらず、フェアネスなど存在しないが、サイコロの目が出たマスを一歩ずつやっていく。そのままの人生を。