その後の話

...and they lived happily ever after.

ただいま

また南国に帰ってきました。

仕事ですが1日自由時間あり、住んでた家を見に行ったり、毎週通った目の前のモールに行ってみたり。

私の母親としての人生が0-7年分詰まっている場所。

 

前に来た時ほど辛くないのは記憶が薄れて感触が和らいでいるからかなと思う。人は忘れるから生きていける。古文の教師が言っていたのを今も何度も思い出す。楽しいこともたくさんあって、数え切れないほどの思い出、初めての息子の靴を買ったお店や習い事の場所、あらゆる記念日を祝ったお店、毎日散歩した川沿いの道、学校、病気になり苦しかったこと、2回の手術、半年聞こえなかった耳、天井とドアの境目を見るばかりだった日々、失ったこと、もの、得たもの。瀕死の私。生まれ変わった私。

 

人生は続く。続ける。やっていく。良いことも悪いこともある。良い時を全力で喜び、辛い時を耐えるための力を蓄える。永遠には続かないと信じること。生きていくということ。

私はどう生きたか

観ました。君たちはどう生きるか

 

米津玄師のEDにスタッフロールが流れ、私はひとり号泣していたのだが、明るくなった劇場で左右から「え、わかった??」という感想が聞こえてきて、そうねあなたと私の地獄は違うものね、と思いながら、今この作品を観ることができたことの幸運を噛み締めていた。

 

宮崎駿作品で一番好きなのはナウシカもののけか、今でも覚えている千と千尋を劇場で観た時の、ああ、はやおはもう大人のことが全然好きじゃないんだな、もう私のために作品を作ってくれることはないのだ、という寂しさ、それ以来何を見に行くにもちょっと身構えて、やっぱりprimaryに私(というか大人全般かもしれないが)を想定されていないことを突き付けられ続けてきたように思う。本作では、子供も、大人も、この作品に向き合うことを想定されているのではないかなと思った。少なくとも私は、どう生きて、どう生きていくかということに、眞人と一緒に向き合い、反芻し、時にしくじり、狡さや過ちを積み重ね、それでも顔を上げ、今日からまた生きていくということを思い、何より宮崎駿がそれに対して絞り出すように前を向いているのだということに救いを見出した。まあそういう意味ではシンエヴァで涙を流すのに似たメタ的な何かが必要と言われればそれはそうかもねという気はします。でも間違いなくここから先の私の人生で何度も思い返す作品になったと思う。巷で言われるほどの分かりにくさはないと思うし(それで言ったらポニョとかハウルとか、みんな”分かって”た??)、私の感性に近いところにいる人なら何かしら響くものがあるのではと思っています。

有休消化期間(またの名を大人の夏休み

あるいはアラフォーモラトリアム。

退職noteは書かない。

 

約4週間の間にやりたいこと。

- 断捨離(->古着回収兼寄付、メルカリなど)

- 小銭入金

- 額装

- 家事育児

- 人間ドック新しいクリニックで予約(これまで会社指定の変なとこだったので

- ハングル学習再開

 

他に小旅行をふたつねじ込んでいる。意外と忙しくなりそうなのでとりあえず今週は無心に片づけ、ごみ袋5袋半の不用品。棚を一つ買い足す。押し入れ収納を改善。バッグの収納も変える。細々2日間、着々とやっている。お弁当も冷食使いまくりだがとりあえず二日作った、クリニックの当ても付けたし、古着回収及び寄付先も多分大丈夫そう。目の前の日常を普通にやっつけていく感じがして楽しい。仕事があると日常のすべてが雑になってしまうので、、

 

それらが済んだら行きたい美術館や展示が2つ。結構ランチの予約を入れられているので、そのあととかに行こうかな。病休期間以外で初めての長期休暇、”ていねいな生活”の真似事をしていく。退職前いろんな人に「絶対3日目くらいで暇で発狂すると思う」とか言われていたけど、そういう風に思われてるの面白いな。私は全然こういうのに適性があると思うんだけど。your equity is not how you want to be perceived, rather just how people perceive you、ですけどね。どのような人間だと思われているかによって私がどのように振舞ってきたのかを間接的に理解している。

私の話

こういうことを言うと精神的に未熟だと言われたり人の親としての覚悟や自覚みたいな話にシームレスに繋げてくる人がいるのでかなり言い難いのだが、普段会社員とか人の親とか誰かの妻として生きていると、なんだかふとその役割に応じた話をする機会しか与えられていないように感じることがある。私は私の話をもっとしたいし私の話を聞いて欲しい。私の話とは、私が読んだ本のこととか、私が聞いて考えたこととか。それを聞いてあなたがどう思うかとか。

 

中学生の頃からずっと話し続けている友人が数人いる。当時は夜中まで巻き物みたいな長さのファックスをやりとりして、昼間も学校で手紙を回し、私の考えてることや彼女たちが考えていることを無限にやりとりしていた。彼女たちの文字の形も全部覚えているし、フォントとして売り出されたら買うかもしれない(意味ないけど)。

 

昔からずっと地に足ついた話が苦手で、例えば今日の夕飯とか明日の持ち物とか。もっと抽象的で意味のない話を無限にしていたい。でも親をやっていると習字道具洗ったかとか明日の朝何食べさせるかとか、そういうものの割合が際限なく増えてきて、そういう話ばかりするのが当たり前になる。今日見たこと、今日読んだ本、読めなかったけど面白そうだなと思った記事の話、日が短くなったなと思ったこと、そういうのが全部虚空に吸い込まれていく。普通の顔で親をやっている人たちはそんな風にならない?それとも私には見えないところでみんなそんな風になっているんだろうか。ライフステージが変わっていくんだから興味関心が移り変わっていくのは自然でしょ。脳内の私が冷めた感じでそういうことを言ってくる。いや、わかりますけどね。わかるんだけど。それでも私は私の話をしたいし私の話を聞いて欲しい。あなたに。そしてどう思うかとか聞かせて欲しい。昔みたいに。だめかな。他にもっと大切なことがある?もっともです。はい。

 

先述した友人のひとりにあるエッセイ本を勧められて、私はそのとき街を歩いていたのだが急遽行き先を本屋に変更してその足で買いに行った。喫茶店に入り隣の二人組の興味深い会話を頑張ってシャットダウンしながら読んだのだが、最初の話でもう胸がいっぱいになってしまった。二十余年の時を超え私の感性を揺さぶってくる友人たちは今も私の話を聞きたがるし、私も彼女たちの話を聞きたい。永遠に話し続けていたい、3人で。保護者会で自己紹介してくださいって言われて自然と子供の紹介をできるようになれなかった私は、これからもきっとずっと私の話をし続ける。でも、私は私の話をする度に、罪悪感を覚える。少しだけ傷いているのを感じる。求められている役割を十分に果たせていないような感じがする。他人の幻想をパッチワークのように継ぎ接ぎした人生を、うまくこなせていると感じる時の充実感と、どこにいてもなんとなく居心地の悪い自分に覚える安堵の間を、行ったり来たりしながら人生をやっていく。

早朝の電話

義父が死んだ。

早朝、電話が鳴って、寝ぼけた夫が取り損ねて、すぐに私のスマホが鳴って、取り乱した様子の義母がどもりながら、息子に代わって、と繰り返し言うので何かとてもよくないことが起こったのがわかった。ずっと調子が良くなかった飼い犬がついに、と思ったが、義母と話す夫の動揺の具合と、漏れ聞こえてくる医者の声で、義父に何かあったのだと思った。夫の背中をさすりながら、遠くの医者の穏やかな声を聞く、もう30分心臓マッサージをしていること、もう直ぐ判断が必要になること。私は義母の近くに住んでいるはずの義妹に電話をかけたが、眠っていて着信に気づかないようだった。何度も何度もかけ続ける。

 

*

7年いた東南アジアの国から帰ってこようと思ったきっかけのひとつが祖父の死だった。日本にいても死に目に会えるとは限らない。それでもその朝とにかく夫を送り出し数時間後には義母の元に届けられたのはよかったと思う。何千キロも離れたところから飛行機に乗って何時間も何時間も考え続けるよりは。多分。

 

祖父の葬儀の後、帰りの飛行機はオーバーナイト便で、あまりよく眠れなかった。明け方の浅い眠りの中に祖父が出てきて「これ、せっかくきてくれたから!持ってきなさい!」と元気な頃の豊かな声量で現金書留の封筒を押し付けてきた。目が覚めてちょっと笑ってからおいおい泣いてしまった。祖父はなんでも分からないことがあれば私に電話をして聞いてきた。大学生になる頃にはそれを少し鬱陶しく思うようになって、大人になって自分の自我の角が取れた頃には祖父は病床についていた。最後に質問の電話があったのは、NHKのクイズ番組か何かでホールドオン!という掛け声は英語としておかしくないか?どういう意味か?というような内容だったと思う。なんと答えたか覚えていない。

 

*

六曜の関係で通夜が2日後になり、おかげで私はある程度仕事を片付けることができ、今息子と2人新幹線の中でこれを書いている。コロナ禍の東京からの移動、悩んだが、突然の喪失に参っている義母にどうしても息子を会わせたかった。息子にもちゃんと死と向き合って欲しかったしお別れをして欲しかった。葬儀は残される人のためにある。

 

*

義父と最後に会ったのは年始だ。やっぱり何を話したか覚えていない。生の喪失は唐突で、理不尽さを内包しない死などひとつもないことは頭で分かっていても、なにひとつ腹の中で落ち着けることができず、新幹線に体を運ばれている。明日の私が生きてることだって本来誰にも保証できないのだよな、と思いながら。

 

Stay home or Go to

こんにちは。みなさんお元気ですか?(虚空に向かって)

 

ひょんなことで職場の人間にツイ廃であることがバレたのですが(しかし現状そんなつぶやいてすらいないしもはやツイ廃の定義を満たさないのでは?ツイ廃の定義とは。)、今のアカウントなんて絶対見つかるはずないのでほっといたら代わりに学生の頃やっていたブログを見つけられました。ハタチの頃の自分に言いたい。姓名診断の結果をブログにコピペするな。

当時やっていたブログは既に某大手に買収され、移行手続きも取ってなかったので自然消滅するやろと思っていたら普通に残されていたという顛末。もはや消すこともできず、ダメ元で某大手のCSに連絡したところ、特別にログイン、編集できるようにしてくれたので即消しました。圧倒的感謝。当時のアドレスまだ使っててよかった。大学のアドレス使ってたら終わってた。昔は猫も杓子もインターネットという時代ではなかったので、気をつけてやっていたつもりでもこういう落とし穴があります。迅速対応まじ感謝。

 

世界は等しくコロナ禍、もう家飽きたというのが正直なところですが、家がそれなりに楽しくて楽でずっといられるというのはやはりprivilegeなのだなというのを様々なニュースを見て思う。できることならこのまま殺したり殺されたりに巻き込まれず天寿を全うしたい。最近は息子の自我がますます人間めいてきて、自分がこの人を私自身の一部として捉えていた、あるいはある程度思い通りにできる存在だとみなしていた現実と向き合いながら、別の個体として正しく生きていくことと、親としての役割(とは)を全うするために何をしたらいいのかなあということを日々考えています。うまくバランスを取れていたい。いないけど。

 

 

もうすぐ4年

昔(10年くらい前)はちょっと時間が空いたらガラケーぽちぽち打ってブログ更新してたのですが、今はその時間をついったやソシャゲが食い潰しており、、

 

言い訳aside. もうすぐ子宮頸がんの診断を受けてから丸4年です。術後最初は3ヶ月に一度だった検査が半年に一度になり、一年に一度になり、このまま5年経てばまぁまず大丈夫でしょうという感じです。脳が脆弱なので未だに検査前は手が震えるし、検査結果出るまでは比較的自律神経がめちゃめちゃになります。安定剤をかじりながらやっていく。

 

脳の化学物質の制御機構が現代社会に適応していないので、割とカジュアルにお薬をかじりながら生活をやっています。医学の進歩と発展に感謝。この心身をあと数十年保たせないといけないという現実にはシンプルに恐怖しかないので、今後とも医学の進歩と発展に期待しているし、生きてるうちに持病である耳の病気の機序が分かればいいなと一方的に期待していますが、世の中もっと重篤で機序不明な病気がたくさんあり、死なない病気に回るリソースは少ない。私が大金持ちになったら私財を投じて解明をしてもらいたいし、そうなったからには最適配分などクソだ、という心持ちになる気がする。自分にそれをする力がないから、明らかに全体最適ではない方向を目指せないだけで、それをする力を与えられてしまったら最後、自分が何をしでかしてしまうかわからない。

 

https://twitter.com/peccadillesx/status/1096951778501783552?s=21

 

何せ私は自分の脳の制御機構を信じていないので。

 

ツイッターのタイムラインを眺めていると、自分の絶対的正しさ?みたいなものを強く信じている人々に出会うことがしばしばあり、脳が強いな〜と思う。社会をやっていくのに向いている脳だ。人生、概ねケーススタディなので、経験を蓄積しながら正解リアクション芸を培ってきたのですが、いまだに突然話しかけられるとバグが発生する。脆弱な脳のリソースは常にスモールトークに容量を割くほど余力がないので、仕方がない。息子が卓球を習っているのですが、受付の人がクレジットカードの処理待ち中に突然「卓球やるんですか?」と聞いてきた。「えっ誰がですか?」と答えました。どう考えても私に決まっている。今この瞬間にもあの場に戻ってやり直したい。嘘です。よく漫画とかで奴隷が回してるなんかあの機械よろしく毎日必死で時計の針を進めているので戻りません。あの頃に帰りたい、とかもない。病気にならなければよかったとも思わないし。

 

よく大病を患った人が後から振り返って「今はなってよかったと思っている」みたいなことを言うのを見る度に以前は脳が生きていくために正当化してるんだろうなあと思っていたのですが、いざ自分がそうなって、今はなってよかったなあと思う。まぁ日常が破壊されずに済んだからだろうけど。自分の人生にとって意味のあることと、そうでないことがわかったので。意味のないことをしないというわけではなく、それを分かった上で生きていくのと、よく分からないままやっていくのは全然違う。違うんですよ。

 

ここ数日、耳の調子が少し良くなってきて、このまま治るかな〜と思っていたら悪化した。生きているだけで悪化する、規則性がない。絶対値で言うと同じ状態でも、下降気味の時と上昇中だと全然違うのでちょっと落ち込んで寝込んでいたのですが、不調に慣れてきたので家を片付けたりしていた。昔の写真や、息子の昔の作品などを整理しながら、4年前のあの時と、3年前別の病気で休職した時、あの2年を境に私の人生のカラーパレットが全く違うものに変わったことを再確認する。ポンコツの心身を抱え、電脳義体化する日を夢見ながら、今夜もメルカリで売れたものを発送し、また明日から労働をする。人生は悪い夢だし、神様はおらず、フェアネスなど存在しないが、サイコロの目が出たマスを一歩ずつやっていく。そのままの人生を。