その後の話

...and they lived happily ever after.

南国

仕事の都合で今週1週間は南国にきている。降ろされたゲートがちょうど一年前に私がlast customer runningとアナウンスされ背後でゲートクローズした旅立ちの思い出深いゲートで笑ってしまった。Terminal 1の端っこにある無駄に遠いやつ。時空の歪みを繋いで同じ場所に戻ってきてしまった。

 

人生で一番辛かった時期と、一番意味のある時間を過ごしたのが同じ場所で、記憶がマーブル模様になって土地にへばりついている。ほとんど毎週のように通った賑やかな街の交差点に立って、よくわからないまま泣きそうになっていた。社会人になってからずっと数年おきに場所を変えてきたので、南国で過ごした年月が積み重なって作り上げた意味の重さがあまりにも大きく、ウェットで、怖かった。住んでいた家の近くにも行ってみようかと思っていたが、全くもって無理だということがわかった。場所に所属してはだめだ。動けなくなる。

 

生まれた街で生きて死ぬ人のことをたまに考える。移動の自由は人類を幸せにしたか?人に与えられた殆どの自由は、大多数の人間にとって、膨大な回数繰り返される選択の連続に費やされるエネルギーとなって消えていったのではないか。異国の夜の街をそぞろ歩きしながら、適当に入った店で適当につまみ、誰かが消費しきれなかった自由が私に回ってきてるのかなあと思ったりしていた。あらゆる権利と幸福は平等に配布されない。人生は神様のサイコロでできている。