その後の話

...and they lived happily ever after.

南国

仕事の都合で今週1週間は南国にきている。降ろされたゲートがちょうど一年前に私がlast customer runningとアナウンスされ背後でゲートクローズした旅立ちの思い出深いゲートで笑ってしまった。Terminal 1の端っこにある無駄に遠いやつ。時空の歪みを繋いで同じ場所に戻ってきてしまった。

 

人生で一番辛かった時期と、一番意味のある時間を過ごしたのが同じ場所で、記憶がマーブル模様になって土地にへばりついている。ほとんど毎週のように通った賑やかな街の交差点に立って、よくわからないまま泣きそうになっていた。社会人になってからずっと数年おきに場所を変えてきたので、南国で過ごした年月が積み重なって作り上げた意味の重さがあまりにも大きく、ウェットで、怖かった。住んでいた家の近くにも行ってみようかと思っていたが、全くもって無理だということがわかった。場所に所属してはだめだ。動けなくなる。

 

生まれた街で生きて死ぬ人のことをたまに考える。移動の自由は人類を幸せにしたか?人に与えられた殆どの自由は、大多数の人間にとって、膨大な回数繰り返される選択の連続に費やされるエネルギーとなって消えていったのではないか。異国の夜の街をそぞろ歩きしながら、適当に入った店で適当につまみ、誰かが消費しきれなかった自由が私に回ってきてるのかなあと思ったりしていた。あらゆる権利と幸福は平等に配布されない。人生は神様のサイコロでできている。

 

 

ノルマと結婚記念日

全然仕組みがよくわからないのだが、ついったでブログやってるとつぶやいたら早速特定してきた人々がおり、古き良きインターネッツを生き抜いてきた人々であろうな、ということだけわかった。私は過去に、ブログ名はもちろん、プロバイダ名すらわからない状態から好きな人のブログを特定したことがあります。

 

結婚記念日だったので、夜は知り合いが出ているコンサートを夫と聴きに行くことにして、それまでの時間1人で銀座をブラブラしていた。そこで8億5000万年ぶりにキャッチに遭ったのだが、しばらく静かに並走しながら色々囁きかけてきた彼が最後に言ったのが「ノルマあるんだよたすけてくんない?」で、人材不足の波。。という感想を持ちました。嘘です。本当はしらんがなという感想でした。

 

コンサートは古い友人の帰国に合わせて実施されており、母の音大時代の友人たちや、彼らの子供達も集まり、懐かしい顔ぶれだった。友人は海外を拠点に活躍しており、演奏は素晴らしく、眩しく、自分にはなかった才能のことについて少し考えたりしていた。トルコ行進曲の連弾を奏でるグランドピアノの周りをぐるぐる回りながらゲラゲラ笑っていた頃の私は、30年後の未来に想いを馳せることがあったろうか。どうかな。

 

何者にもなれなかった私のすべきことは、目の前の生活をやりきり、慈しみ、愛することであり、友の成功を祈り、喜ぶことで、何者かになりたかったと悲嘆することではない。いつか何者かになれると最後に思ったのはいつのことだったのか、うまく思い出せないのだが。

 

帰り道夫が「一曲目のあれはどういうあれなの?」「アンコールの二曲目は聞いたことがあった」というような感想をぽつぽつと述べており、そういえばこの人は私とつるむようになるまでこっちの世界のことは全然興味がなかったのに、いつのまにかそれなりに楽しんでいるようでよかったな、と思った。この人はかつて、隣に並んで同じもの見て、違う感想を持って、それを聞いてふーんて思ったりしたい、というようなことを言いながら私と結婚したくなったりしていたから、特に意識してやってきたわけではないけど、彼が夢想していたような未来の一部に私がいるのなら、それは素晴らしいことだなと思った。何者にもなれなさを抱えたまま、幸せに生きて死ぬということも、選び得る未来であろうと思う。

 

スタッフナンバー5番

うでパスタさんの新宿メロドラマという本が好きで、中でもスパのスタッフナンバー13番さんが出てくる話が大好きだ。

 

http://www.boiled-pasta.guru/entry/2018/05/20/マッサ・ゴー・ゴー%EF%BC%8Fキングの午睡

 

先日遂に月の残業時間が100時間を超え産業医面談となったのだが、仕事が忙しすぎて産業医と面談する時間が取れずゲラゲラ笑っているのだが(笑っているとは言っていない)、久々に7時間以上寝た土曜の朝、ヨガをキャンセルし、思いつきで渋谷のマッサージに行った。すっぴんメガネで大都会渋谷を歩くのはそれだけでMPがガンガン削られる行為であり、しかも初めての場所に迷いまくりほぼ死体となってたどり着いた店のドアを開けると、店員が無駄に店内の姿見でポーズをとりレジで何か食べてる別の店員もおり、これは…東南アジアのマッサージ店だ……!という衝撃が走った。私は東南アジアの某国に10年弱住んでいたことがあり*、東南アジアのマッサージ店のあの感じが脳内に怒涛のように流れ込み、疲労と相まって一瞬泣きそうになってしまった。担当の女性は片言の日本語で私の背面の左側がヤバいということを説明しながら90分間揉み続けてくれた。正確に言うと途中で「XXトッテキマスネ〜」と言ったまましばらく帰って来ず、何をとりに行ったのかも分からないし、もうこれで終わりか?このオイルまみれの体で服を着るのはまじモンの東南アジアクオリティでは?とかぐるぐる考えていたが、パタパタ足音を立てて帰ってきた彼女が「オシボリ、ツメタカッタ!」と笑って言いながらおそらく電子レンジかなんかであっためてくれた暖かいおしぼりをバッサバッサと背中に乗せてくれた。痛くもなく、物足りなくもなく、ちょうどいい90分間で、終わった後は体力が黄色ゲージまで回復していた。ザオラルだ。

 

「ヨカッテラ、マタオネガシマス!!ワタクシゴバンデス!!」

 

しっかり頭を下げて、大きな声でそう教えてくれた彼女に、お名前はなんですか?と聞いたら、照れたような顔で「テイ、デス」と教えてくれた。テイさんに会いにまた来ると思う。私の中の東南アジアメランコリー in 渋谷。

 

 

 

*数字は事実と異なる可能性があります

明け方のランニングマシン

かなりヘビーな睡眠障害を患っていた時期があり、もともと寝つきが悪かったのもあるが、連続した睡眠は30分がMAXという時期がありしんどかった。毎晩朝の4時過ぎまでほとんど眠れず、やっとウトウトしたと思ったら息子が5時半くらいに私の寝ている部屋に来る気配で目が覚めてしまい、仕方がないので朝日が昇るまでストレッチしたり軽い運動をしたりしながらぼーっとしていた。南国生活では下にジムが付いていたので、そこに降りて行ってランニングマシーンやバイクを漕ぎに行ったりもしたが、結構明け方にジムを利用している人々がおり、少し孤独感が安らいだのを覚えている。暗い部屋でただじっと夜が明けるのを待っている時間はつらかった。

 

なんでそんなことを思い出したかというと、同僚が睡眠障害になったからです。軽い入眠障害なら薬もらってまず眠れるようになるのがよいと思うし、それでかなり楽になるし普通に生活できるようにもなるから、という感じのことをサラッと話したが、これまでの生涯を普通の人として生きてきた人は知らぬ間に自分が踏みこえようとしている線のことをとても恐れており、これもまた「膜」の向こう側なのかなと考えたりしていた。あちらとこちらは確かに地続きだが、容易に行き来できるようにはなっていないのだ。

 

入眠を助けたり中途覚醒を防いだりしてくれる薬を飲まずに生活できるようになってしばらく経つが、そのことを夫に報告するのを忘れていて、あるときふと思い出して「そういえばもう薬飲んでないんですよ」という話をしたら「えっじゃあ薬なしでいつも朝グーグー寝てたわけ?俺が起きるのにも気付かず?」とひとしきり驚いた後「それはすごいことだね。素晴らしい。」と納得していた。夫の身動ぎに都度目を覚ましては途方に暮れていた私は今、毎朝彼が起き出した気配にも気付かず眠り続け、朝ごはん食べる?と起こされるのをただひたすら、夢見心地で待っている。今日もまた、あちら側に落ちずに済んだようだ、というぼんやりとした喜びを感じながら。

 

 

 

ヘルチキ

ファミチキにヘルシーな胸肉を使ったヘルシーチキンが出ました、と書いてあったので、じゃあそのヘルシーチキンお願いします、と頼んだら「ヘルチキですね」と確認され、戸惑った。

 

かなり間が空いてしまった。仕事が忙しすぎる。息子にも「おかあさんにはお休みの日か朝少しだけしか会えない」と言われてしまった。もうだめです。ローンの審査通ったら転職しようと思っていたが既往歴が酷すぎてローンの審査通らない可能性が大です。病弱つらい。

 

既往があって団信入れないかも、、世の中の人は癌になったり心療内科行ったりするようになる前にローン組んだ方がいいよ、、という話を知人していたら「保険もね」という話になった。その通りである。私多分今から入れる保険ない。結婚した時に夫の母に勧められるがままに入っておいてよかった(プランは自分たちで見ましたが)。よもや三十路で癌になったり耳聞こえなくなって精神崩壊したりすると思ってなかったので。人生一寸先は闇。

 

 

 

さみしさ

いろんな人の抱えるさみしさみたいなものが好きだ。泣き叫んでブチまけているやつより、それ自体が心臓と密接に絡まり合って、もうどうしようもないようなやつ。取ったら本体も死んでしまう。同じ血管を分け合って、生きている自分の一部。

 

もう一生会えない人に貸してもらった本があって、最後に会った時に、あげる、って言われたから厳密には借りてるわけじゃないのかもしれないけど、見るのが辛くて本棚の奥の方に押し込んである。それでもどうしても捨てる気になれなくて、これは私が私に課した呪いだな、と思っている。今日、家に帰って真っ先に目に入る棚の上にその本が無造作に置かれていてギョッとした。夫が図書館から借りてきたことに、ラベルを見て気づいた。業だなぁ。逃げられない。と思ったりした。

 

ぼくのなつやすみ

父親が結構気合の入ったゲーマーだったので、多分一番古い父親との記憶は、狭いアパートで、父がボロボロの座椅子に座ってファミコンドラクエをやっていて、私はその隣で食い入るように画面を見つめていたやつ。60過ぎの父は今ネトゲにシフトしており、なんか宇宙で戦っている。

 

https://twitter.com/peccadillesx/status/784623122842587136?s=21

 

大学受験の年、正月休み完全に煮詰まっており、ボロボロだったのだが、母が家にいない隙を狙って父がそっと私の部屋をノックしては「ゲームやるか?」と聞きにきていた。10回中9回は「やーちょっと無理だわ」と言っていたのだが、残りの1回は、ちょっとやろかな、、などと言ってしまい、つい母が帰ってくるまでやってしまい、帰宅するなり気が狂ったように怒る母とだんまりを決め込む父、みたいなのがたまにあった。父はまぁまぁ勉強ができた人だったので「今更そんなにやっても意味ないぞ」みたいなことを折りに触れ言っていたから、私の追い込みのこと本当に無駄だと思っていたのかもしれないし、ちょっとかわいそうで息抜きして欲しかっただけだったのかもしれない。結局私はセンターでやらかし、特に希望していたわけではない私大の某学部に行くことになったのだが、合格したことを伝えた時の第一声が「お前は本当に運がいいな」だったので、本当に私の頭の中身については見限っていた可能性が高い。

 

そんなこんなで大学生活に突入し、一人暮らしの友達の家に入り浸ったりするようになり、いろんなゲームをやる機会が増えた。その中で今も忘れ難いのが、ぼくのなつやすみで、よくわからんのだが社会人になってああいう無為な夏を剥奪されて以来、時折無性に思い出す。主人公「ぼく」くんが夏休みを親戚の家のある小さい島で過ごすことになり、毎日海に潜っては瓶の蓋を見つけ、釣りをしたり、山を駆け巡り、お昼寝をしたり、朝顔に水をやったり、島を探検して、日記を書いたり、それだけの日々が延々と続く。ゲーム内のBGM、蝉の声や自分の足音、ぼくくーん、ごはんよー、と呼ぶおばさんの声。畳に寝転んで昼寝をする。目標も目的もなく、評価されることも比べられることもなく、ぼくくんの夏は過ぎていく。先週1週間実家に預けていた息子の日記が、セミセミ、プール、コクワ、セミ、プール、カブトという感じで、またなんか強烈にあのゲームのことを思い出していた。

 

あの頃、夏休みに「ぼくのなつやすみ」をやりながら寝落ちしてしまい、起きたら夕方になっていてひぐらしが鳴いていて、世界は静かで、このままここで全部終わればいいのになと思ったことを思い出した。夫に先立たれて1人になったらぼくのなつやすみをやりながら寝落ちしてそのまま死にたい。概念としての夏に包まれ、それなりに涼しい部屋で。