その後の話

...and they lived happily ever after.

ノルマと結婚記念日

全然仕組みがよくわからないのだが、ついったでブログやってるとつぶやいたら早速特定してきた人々がおり、古き良きインターネッツを生き抜いてきた人々であろうな、ということだけわかった。私は過去に、ブログ名はもちろん、プロバイダ名すらわからない状態から好きな人のブログを特定したことがあります。

 

結婚記念日だったので、夜は知り合いが出ているコンサートを夫と聴きに行くことにして、それまでの時間1人で銀座をブラブラしていた。そこで8億5000万年ぶりにキャッチに遭ったのだが、しばらく静かに並走しながら色々囁きかけてきた彼が最後に言ったのが「ノルマあるんだよたすけてくんない?」で、人材不足の波。。という感想を持ちました。嘘です。本当はしらんがなという感想でした。

 

コンサートは古い友人の帰国に合わせて実施されており、母の音大時代の友人たちや、彼らの子供達も集まり、懐かしい顔ぶれだった。友人は海外を拠点に活躍しており、演奏は素晴らしく、眩しく、自分にはなかった才能のことについて少し考えたりしていた。トルコ行進曲の連弾を奏でるグランドピアノの周りをぐるぐる回りながらゲラゲラ笑っていた頃の私は、30年後の未来に想いを馳せることがあったろうか。どうかな。

 

何者にもなれなかった私のすべきことは、目の前の生活をやりきり、慈しみ、愛することであり、友の成功を祈り、喜ぶことで、何者かになりたかったと悲嘆することではない。いつか何者かになれると最後に思ったのはいつのことだったのか、うまく思い出せないのだが。

 

帰り道夫が「一曲目のあれはどういうあれなの?」「アンコールの二曲目は聞いたことがあった」というような感想をぽつぽつと述べており、そういえばこの人は私とつるむようになるまでこっちの世界のことは全然興味がなかったのに、いつのまにかそれなりに楽しんでいるようでよかったな、と思った。この人はかつて、隣に並んで同じもの見て、違う感想を持って、それを聞いてふーんて思ったりしたい、というようなことを言いながら私と結婚したくなったりしていたから、特に意識してやってきたわけではないけど、彼が夢想していたような未来の一部に私がいるのなら、それは素晴らしいことだなと思った。何者にもなれなさを抱えたまま、幸せに生きて死ぬということも、選び得る未来であろうと思う。