その後の話

...and they lived happily ever after.

火星移住計画の話

NHKで火星移住計画の話をやっていた。息子はサイエンス系の番組が好きで、私も付き合いで見る機会が増えた。以前はあまり興味がなくて、この人の親をやるようになってからよく見るようになったジャンルだ。息子は最近本もよく読むようになってきたが、私は物語というか小説大好き少女だったが彼はそういう方向には全然食指が動かないようで、生き物の進化とか特徴とか図鑑とか恐竜とか、とにかくそっち系で、面白いなぁと思う。自分と全然似ていない部分に出会うたびに、神様が与えたこの人の器について考えたりする。神様のこと信じてないけど。人にはランダムに与えられた所与の特性があるというようなこと。

 

そう遠くない将来、地球が抱える様々な問題からの解決策のひとつとして、火星移住計画は現実的な選択肢のひとつであるというような話で、人類が絶滅という運命から逃れるために、人は可能性を模索し続けるのだという結びだった。それを聞いた息子が「ぜつめつしたらこまるから、かあさんもいっしょにかせいにいこうね」と誘ってくれたが、思わず「母さんはいいかなぁ、地球に残るよ」と答えてしまった。言葉足らずだったかなと思い「若い人はどんどん新しい土地に行って、新しいことをやっていったらいいと思うよ」などと付け足しながら、ますますもっていつか見たSFに出てきた老人のようなことを言ってしまった…と思って変に焦ったりしていた(アムロのお母さんじゃんと後から気づく)。当の息子は「そうだよね、おとしよりはどうせすぐしんじゃうもんね!」と割と正しく理解し納得していたようでよかったが(よさとは)。私だって子供の頃は別の星に移住したりすることを夢想したことがあった気がする。なんかでも、もう今の私ならどこか別の星に辿り着く前の宇宙船の気圧差とかで無理そう。内耳が。あと、地球が死ぬならもうそれが運命なんだと思う。私は地球で死にたい。願わくば桜の季節に。日本で。地球が死ぬまで桜咲いてるかな。どうかな。

 

ナウシカで、さだめならね、って大婆様が言うシーン、初めて見た時からずっと忘れられなくて、年齢を重ねるにつれ、思い出す頻度が増え、印象が変わっていった。人生に意味などなく、ほとんどの不幸に理由はない。私たちの日々は神様のサイコロにより、唐突に断ち切られたり、束の間の幸せを抱き締めたり、諦めたり立ち上がったりしながら死んでいく。死んでいくんだけど、たとえば私が火星に行けなくても、行きたいって思えるような心身がエネルギッシュな老人になれなくても、息子が火星に行きたい!って思えて、行けるような人間になってくれたら、今生はもうそれでいい気がする。別に輪廻転生のことも、信じてないけど。